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福衛門窯03(C)

伊万里焼の歴史と経緯

江戸時代初め、有田町周辺で陶石が発見され、日本で最初の磁器が焼かれました。その後泉山で良質の原料が発見され、鍋島藩は窯場を整理・統合して磁器を専業に生産するに至りました。

当時、有田焼は伊万里川を下った伊万里津(港)から国内各地へと出荷、また長崎経由で、オランダ東インド会社により海外へ運び出されました。そうした経緯があり、当時の有田焼は古伊万里という名称で呼ばれております。

近代以降は船から鉄道へと輸送の主軸がかわり、それと共に伊万里地域でつくられた磁器の総称を伊万里焼と呼ぶにいたっております。

福衛門窯01(C)

献上手古伊万里焼の特徴

献上手古伊万里とは数百年前に世界中の王侯貴族を魅了した、多色と金彩を多用した最上級の古伊万里(伊万里焼)様式をモチーフに、福右衛門が洗練した紋様を総合し、総手描きによって創り上げた作品です。造形においても型をいっさい用いず、手轆轤形成によってのみおこないます。釉薬には天然調合した独自の灰釉を用い、白磁とは異なる深みのある発色を追究しております。藍の染付を輪郭に、多彩な錦手に金彩を用いて膨大な吉祥紋様を緻密に描き上げます。

現代において献上手の複雑な絵柄を総手描きで描く窯元は福右衛門窯をおいておらず、大手法人によるギフトや王族への贈答、王宮への室内調度品など最上級の美術品として重宝されてまいりました。

 

 

福衛門窯04(C)

金襴手様式について

金襴手は色絵付を施した白磁をベースに金彩で文様を表す技法です。色絵と金彩を使用する豪華な配色が織物の金襴と似ているところから金襴手(きんらんで)と呼ばれています。

一色毎に焼成を繰り返すため最低でも回以上窯入れを行います。また金を含め、多色を用いるため大変な手間と時間を要します。金襴手様式は陶芸界でも最も困難な様式の一つとされています。

当窯(福右衛門窯)では現代的なプリント印刷、転写技術を一切用いることなく、総手描きにこだわり作陶を続けてまいりました。

かつて世界中に輸出された最高峰の献上古伊万里の様式美の伝統と技法を受け継ぎ、さらなる高みに向かうべく、より細密で多色な描写を追究しております。

福衛門窯(C)

福右衛門窯の歴史

福右衛門窯は福山正司氏により1972年に佐賀県は伊万里市で福右衛門の襲名とともに再興された窯元で、先祖代々献上手古伊万里の創造に携わってきました。古伊万里の長年にわたる歴史と伝統を維持し忠実に再現をしつつ、現代に新たな名品を数多く生み出しています。

古伊万里といえば江戸時代に作られた有田焼(伊万里焼)の事を指しているのですが、染付や色絵から金欄手などの様々な技法を手作業で書き入れているという特徴があり、金で絵柄を描き、焼き付けて文様を表す豪華絢爛さの一方で緻密な作業が必要になるため、現代においては転写で印刷するものがほぼすべてとなります。

たしかに転写は作品の品質を均一に保つことが出来る上に、ある程度の量産を必要とする現代の消費社会においては非常に効率のよい手法だといえますが、機械的な作業の中では人間が作り出すことにより温かみであり人間味は感じることが出来ず、これは磁器の製造だけでなくあらゆる分野においても同じことが言えます。

一方で福右衛門窯では近代的な印刷技術や、画一的な手描き手法などは一切使うことなく、脈々と当地で受け継がれてきた伝統的な手法による作品作りが行われており、それは作陶展において非常に高い評価を受けるに留まらず海外で古伊万里の講演や実演を行うなど、名実共に文化や技術の担い手として活躍されております。
この伝統的な手法では金欄手様式を総手描きで仕上げるというだけでなく、手ろくろで再現するという点にも職人魂ともいえる気概がこめられており、国内では総手書きと手ろくろで製作を行う数少ない窯元のひとつとして知られています。

福右衛門窯の作品の特徴としては、古くからの技法を守りつつ現代的であったり斬新な作風となっており、筆致は豪奢でありつつも繊細さも感じられる数多くの作品があります。
種類としてはマグカップ・蕎麦猪口・銘々皿・飯碗・フリーカップなどの生活用品をはじめ、陶額・飾絵皿・飾り花瓶なども数多くあります。